20年ぶりの長崎

昨年末に長崎の祖母が亡くなりましたが、20年ほど疎遠だったこともあり、今更行くのも気まずいので葬儀などには行かず、離れた所から冥福を祈るぐらいで済ませていましたが、連休ということもあり、長崎へ行くことにしました。
20年ぶりに叔母と電話で話し、是非にとの話だったのですが、本当に社交辞令をそのまま受け取ってよかったんだろうかと新幹線の中で思ってたりします。
3人の祖父母の内、2組と1人を亡くしましたので父方の祖母のみ健在しています。
何故3組もいるのかというと、母が亡くなった後、父が後妻を迎えたからです。
僕が産まれて半年くらいで母が亡くなったわけですが、兄と僕、2人を育てるのは無理!とのことで僕は母方の実家である長崎へ預けられました。祖母の家には叔父夫婦が同居しており、物心ついた時には2人の息子がいて、三兄弟的な感じで生活していました。当時から自分だけ苗字が違うことを不思議に思ってましたが、なんかあるんだろ、くらいであまり気になりませんでしたが、年長が済み小学校に行くぞー!ってところで親と名乗るおっさんが迎えに来て、そういうことかと納得したのを覚えています。
迎えに来たものの長崎側が断固拒否をして追い返し、色々揉めたみたいです。何が行われているかさっぱりわからないまま小学校が始まりましたが戸籍とかの関係か地元の小学校には行かれず、義務教育のスタートと同時にニート!みたいな生活をしていました。
結局、どのような感じで決着ついたのかわかりませんが、2ヶ月くらい経って広島に連れ帰られました。
どうやらそれからも訴訟やなんやらで揉めに揉めまくったみたいで、中学校くらいまで、祖母の家の悪口を両親から聞き続けました。僕も両親が良い感情を持ってないことから、電話などをするのも気まづくなり、相手からは月一くらいで電話が来てましたがこちらからはすることは無く、どんどん疎遠になっていきました。
結局、高校生の頃にはたまに思い出すくらいのものとなり現在に至ります。
叔母からの電話で過去の事を謝られましたが、正直過去の事は全然気にしてなかったので、逆に相当揉めたんやなぁと確信するわけで、家族間の訴訟なんかするもんじゃないと思うのです。
そりゃ、訃報を聞いても用事優先して東京遊びに行くわ(クズ)